感情的になる。

ここ数日、一年半ぶりにお客さんを呼んでご飯を食べたり、桃代お寿司デリバリーを親戚の家に持っていってそこの赤ちゃんの成長を一年ぶりに見たり、
はたまた親しい人の家にとうとう赤ちゃんが生まれたり、感情が久しぶりに大きく動かされる出来事が続きました。
それに加えて、今年七歳になる家猫が、初めて調子を崩して動物病院にお世話になったことも重なり、流石に長い自粛期間静かな生活をしていたから、自分の心がガンガン揺れ動く、というか、そのしわ寄せの大きいことにびっくりしています。
猫はレントゲンと血液検査の結果、全く問題なかったので、どうも私たちと毎日朝から晩まで一緒に暮らしていたリズムが崩れて、ちょっと不安定になっているのかもしれないと思い当たりました。そういえば、6月の後半から食欲がなかったのです。
そのほかには、私の着物の自主練もとうとう5ヶ月目を迎え、着物で買い出しチャレンジの次は演奏会とか、美術館とか、図書館に着物を着ていきたいなと考えていたところ、りはるさんという「意識低い系普段着物」という最高なネーミングのチャンネルを持っている方とインスタメッセージのやり取りがあって、今日の日本時間20時に「もしもりはるがベルギー王立図書館に行くなら」というビデオがプレミアム公開されました。
ドキドキして、本当に久々にこんなに緊張しました。私は登場するわけではないのに、一体どうしてこんなに緊張するのか!と思いましたが、日本にいる方と三日ほど前にやり取りをして、今日もうそのビデオが上がっているという、夢のようなこの時代の仕組みに、感情がついていけません!
楽しくてあっという間でしたが、ゆっくりまたそのあとで見直して、
自分も早く図書館に行きたいなあと思いました。
さて、数日前にうちに来たお客さんはフランス人でしたが、いろいろ話した中で、パリのノートルダム大聖堂のことをずいぶん話しました。それから、ベルギーの私たちがお世話になっている会社が、コロナ中に倒産して、中の人たちが二つの会社に分かれて立て直され、我々はどう対応するかなど、ご飯を食べながら顔を見ながらなんとか話せて、お互い思うことをシェアできました。
なんの話題でも共通していて印象深かったのは、感情を「あるライン以上」まで持ち込むべきでない、ということに関して、夫とそのお客さんの意見は一致していたことです。
そのラインを超えたら感情的追随はせず、冷静に当たる、と。冷静というか冷徹なのでは!?と思うほどに、です。私は日本人としてはもう少し「感情的についていくこと」を良しとしたい気がしました。
また昨日の東京オリンピックの無観客開催の決定に、本当に心が痛みました。スポーツ観戦は好きです。オリンピック中、リアルタイムで見られなくても、ほぼ日の「観たぞ」は読む派です。(そういう、記事で全ての応援をするすごいシリーズがあります)それで寝不足になっても、私は次の日に前日の結果を持ち越さない派です(なんだそれ)。
陸上800メートルを走っていた中高時代、どんなに人々の声援があって、火事場の馬鹿力を出してきたか(多分1秒ぐらい違ったと思う)。
今年オリンピックをする、という政治にも驚きを禁じ得ないのですが、それを無観客で行うという「前例のない大イベント」をまるで清水の舞台から飛び降りるみたいな決死の覚悟で行うとは。歓声という感情の発露を、人々が集まって、息を飲んで見守るあの空気をヴァーチャルで作り出せるものなのでしょうか?
ニュースを聞いて「ああ、どうしよう。どうしたらいいんだ」という気持ちになってしまい、昨日はよく眠れませんでした。私が悩んでもどうしようもないことなのに。
ただただ、政治家の上の方の方も、下の方の方も、企画に関わる全ての方、ボランティアの方、全ての医療関係者の方、などなど、国民の全てのみなさんが、無理をして倒れないでほしい。責任を感じて無茶苦茶な労働をしないでほしい。
スポーツは健康のためにあるのだから。
私も、肉体的には全然疲労はないですが、7月に入って早1週間で、もう感情がジェットコースターのようで、これは〜もうちょっと刺激の少ない生活を挟んでいかないと持たないぞ、と感じています。
日本の夏のこと、毎日強く祈っています。
桃代