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祝福の時間




8ヶ月ぶりのオルガン・リサイタルが終わりました。

応援や励ましの心をありがとうございました!


ランディドルグ・コンサート再開にふさわしい、

新曲尽くめのプログラムを準備した私!

どうしてそういう危険なのが好きなんだ!


新曲をいくらさらっても、本番がないと

今一つその作品の力と言いますか、

演奏会に於ける作品の可能性が

測れないものなので、今回、

テオドア・デュボワの作品を

一気に演奏してみて強い手応えを感じ、

これからまた弾き続けたいと、充実した気持ちでいます。


新しい曲を本番で弾いて楽しいのは、オルガンの音変えを、

アシスタントが全部やってくれるので、そこで初めて

作品の本当の姿が現れてくることです。


夫婦でオルガニストという人たちが、

私の周囲でも時々いらっしゃいますが、

一生お互いにアシスタントをし合う人生は、

わかってはいたけれど、やはり、便利なものです。


これまで20年余り、夫とランディドルグを続けていて、

これは夫婦だと確実に有利であります。


今日の本番は、最後の曲以外全て、私にとっての新曲でしたが、

アシスタントの夫にとってもそうでした。

意外かもしれませんが、夫婦は、アシスタント練習をしません。

(うちだけか!?)

当日10分前にポストイットをさらっと見て、ぶっつけ本番。


今日の演奏会では、新しい曲ばかり続く中、

夫は確実に譜をめくり、確実にストップの出し入れをし、

最後の曲になるまで、私は一つの文句も

ありませんでした。


ところが最終曲、夫も私も昔から弾いていて、

まあ「デュボワのトッカータ」はオルガニストならまず誰でも知っている、

という作品の時に、私が想定していたのと違う音になっていました。

私も、うっかりしていて、これは音が変わらないトッカータ、と

ポストイットも貼っていなかったのです。


しかし、今日のオルガンが、デュボワの使っていたマドレーヌ教会のカヴァイエ・コルとは

違う作りなので、鍵盤2段目の音が譜面通りにはいかないから、

使っているオルガンに合うと思われる音を、おのおの使っている部分があります。


ともあれ、演奏中に、私の欲しい音とは違う音に急になったので、

そういう時はどうするのか?というと、

私たちは歌っているわけではないし、観客から遠いところで

弾いているので、とりあえず口頭で伝えます。


普段なら。



今日は、

「xxの音にして!」

と夫に言おうとしたら、


私は口がきけなくなっていました。


言おうとしたら、


と書きましたが、まあ、音がすごく大きい箇所なので、


叫ぶのです、本当なら。


ところが私は叫ぶどころか、口が全く動かないし、

唇も開けられないし、頭脳が「何語を言えばいいのか」

という状態になっていたみたいで、



8ヶ月のブランクを感じました。(辛い)



演奏中に、アシスタントに、弾きながら同時に口で指示を出す、

という能力が、すっかり錆び付いていました。


そんなことしなくて済むのなら、

できなくていいような、マニアックな技術であることは確かですが、

本当に困って、本当にどうしようかと思って、

もう無茶苦茶集中力を削がれました。


フレーズの切れ目の息継ぎをたくさん取って、

ようやく音の合間でモゴモゴと言いたいことを伝えた、

とここに白状しておきます。


それでも最後の拍手は本当に暖かく、

今日は演奏台からの挨拶ではなく

階段を降りて、お客さんの前に出て礼をすることにしたのですが、

本当に本当に胸が熱くなるような時間でした。


最後の曲には音替えの問題が不満だったけれど、

自分のことより大事なことがあるじゃないか、

と心から思えるような、拍手でした。


マスク越しでしたが、温かい言葉をかけてくださる方がいたり、

ベルギー在住の日本の方も何人か来てくださってご挨拶できて、

私は本当に幸せものだと思いました。


今は別の家に住んでいる娘が聴きに来ていて、

私のことを抱きしめて

「満足している?」

と訊くので、鋭いなあと思いつつ、

「満足だよ」

と答えたら、

本当にじんわりと、満足感が体に染み渡ったのでした。


題名に「祝福」という言葉を使ったのは、

去年からランディドルグの企画グループのプレジデントになってくれたAさんが、

「オルガン曲はね、だんだんわかるようになってきたのよ!

自粛期間中に、ブリュッセル自由大学のオルガン講座を

インターネットで見て、勉強したから。

デュボワは初めて聴いたけどいいわね!」

と楽しそうに言うので、

「見て、演奏会が久々すぎて、指先が擦り切れそうになってる!」

と私が手を見せたら

「どうして?!そんな硬いものなの?!」

と驚いてくれたので、

「そうそう!めっちゃ硬い、重いから!

でもはっきり言って、ちょっと忘れてた」

と言うと、

「あらー。全然そういうの気にならなかった。

特に4曲目のBénédiction nuptiale、素敵で好きだったわ〜。

私のお葬式で弾いて欲しいくらいよ!」

という会話があったからです…


ああ。


「お葬式で弾いて」


これは、


我々がよくやる、間違った音楽の褒めかただ、と

我が身を振り返って私は脱力しました。


娘に、バッハの無伴奏バイオリン・フーガハ長調を

自分のお葬式リクエストしたことのある私は、

なんてデリカシーがなかったことか。


けれども、コロナ渦の日々、

新聞は毎日亡くなった方の数を数えていたじゃないですか。

今でもそうではないですか。

大切な年上の友人が、

「お葬式でこれ弾いて」

と言ったとしたら、

それはもう私たちの時代の言葉なのだと

私は受け止めようと思いました。


それに

Bénédiction nuptiale

とは、

結婚の祝福

という意味の曲なのです。


そんな美しい曲をお葬式で弾いて欲しい、

とカジュアルな声で言えるような、

素敵なシングルの人生を生きているAさんはすごい、

そう感じて、今日の日記にも書き留めておきました。

忘れないように。


何もかもが、以前とは違って見える一日。

感謝でいっぱいです。

桃代




















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