アプリというもの

電車に乗るときに、すぐに時刻表を調べたり、家を出るときにすぐそばのバス停にバスがもうすぐ来ることを確認したり、スマホのアプリはたくさんの便利な使い方があります。 私にとって携帯電話は、通話以上の期待をぶつける相手ではなかったのですが、2018年になってまだまだ目新しい気持ちになっているところなので、少し自分が基本に戻れるようなアプリを見つけてみようと思い。 現在、私の携帯の画面の、電車・レンタカー・バスとメトロ・ランニング・インスタグラムの日常で触れているアプリの下の方に、ずらりと並んだのが、 1。オクスフォード・イングリッシュ 2。ラルース 3。大辞林 の文字!!わーおめでとうございますうう あの、分厚い枕頭の書たちが(いや、寝る前に、読んでません!)!! この1センチ四方にも満たないアプリのアイコンの中に取り込まれてしまった!ハーマイオニーの魔法のビーズバッグぐらい、マジカルなのではないでしょうか(ハリー・ポッターの話の中で、逃走中に本を持っていけないので、賢い女の子の魔女が、靴下の中に隠せるぐらい小さい魔法のビーズバッグを準備して、中に必要な本を全部しまった)! 1。「オクスフォード・ディクショナリー・オブ・イングリッシュ」アプリは、利用者が世界中で多いからなのかどうか、無料でした。まずそれには驚いた。しかし使ってみると、出るわ出るわ広告が。下の方に、チラチラ動いている帯があって、かなり気になるが、無料とはそういうことだということですか(誰に訊いているのかわからない)。 何かを読もうとしているときに、チラチラ動くものが目の端に入ると読みにくいのは私だけでしょうか。それを隠すためのポストイットを用意している自分はデジタルなのかアナログなのか。とりあえず無料版を使ってみようと、必要はなくても暇さえあれば単語を引いてみる私。本当に英語って良いなあ〜何が良いのかはわからないけど。良い。好き。発音が好き。音の組み合わせが好き。カリカリしているというか躍動感があるというか。共感してくれる人はいるのか。 2。「ラルース・ディクシォネール・ド・フランセ」アプリは、本当は「小さいロベール」版のが欲しかったのですが、お値段がずいぶん違ったこともあり(プチ・ロベールは29€99、ラルースは6€99)先ずは手軽な方からと思い選択。評価も高かったこともあります。どちらにしても辞書の値段よりよほど安価であります。印刷代がかからないということでしょう。CDとは比較できませんが、まあ、間違って消してしまったら本当に儚い、数千ページということになります(すでにデジタル版のバッハ無伴奏ヴァイオリン全集のCDなどを消してしまったことのある自分)。ラルースのアプリは画面が画用紙のような模様が入った白になっていて、文字も赤と青、本当にフランスっぽい辞書なのでベルギーで使っていると違和感(おフランス感がすごい!?)を感じるほどです。ロベールの方が良かったかなあ。というか知り合いの仏文教授の娘によると(その人はフランス人ですが)辞書は絶対ロベール、といつも言っていたので、それは何故なのか聞くと「例文だけ取っても質が違う」とのこと、しかし全く屁理屈かもしれないし、異邦人である自分には特に文句を言う筋合いはないので、今年はラルースをまず使わせていただこうと思います。 3。日記を手で書いていると、漢字が間違っているなあ、と言うことを、書いてしまってから思う日々です。書いてあるのを見て違和感があったらそこで気づく。でも書いている瞬間は間違っているかなということを疑わずに手が書いてしまうのです。これも日本を離れて29年のツケなのでしょう。そこで、携帯メッセージを書くような手順でその漢字を自動変換してもらって「ひ〜そうだった」と思う時の隙間風ヒュルル感をなんとかするために、国語辞典をダウンロードしようではないか。と思い慣れ親しんだ三省堂の無料アプリを選択したら、ベルギーではダウンロードできず。常日頃、日本語のキンドル本が買えないでいる悲しみが再び襲ってきたので、「そうだ、ちゃんと買おう」となぜか気合が入ってしまい大辞林アプリを購入。画面はなんと真っ黒。そこに鮮明に浮かび上がる、白文字の漢字のラインの細かいこと!なんだか見慣れるまで時間がかかりそうですが、まるで歌舞伎の演目のように?黒地に縦書きで現れます。漢字を確かめるために買ったけれど、クラシック音楽の項目まであって、ついつい読みふけってしまいそうです。写真はその目次のスクリーンショット。 いつでもインターネットがあれば、辞書がなくてもいろいろ調べ物ができるのは事実ですが、アプリのいいところはもちろんネット環境外で使えることですが、それよりも何よりも検索結果の出てくるのが異常に速いこと。本をめくるのと同じスピードと言っても過言ではない。よく考えると、クリックして、ぐーぐるーぐーぐるーぐーぐるーとぐるぐるしてくれている間、洗濯機が終わるのを待っているような手持ち無沙汰感で集中力が落ちたことはありませんか?更に、欲しくない情報も大量にざあざあ降ってくる中を、気持ち良さそうな木の下で雨宿りをしながら進んでいくと、最初に探していたものとは違うところですっかり油を売ってしまっていたりします。というわけでインターネット・ジャングルの中をたった一つの単語を探しにわざわざ出ていくよりも、まあ、大辞林を我が家の庭に植林して瞬殺で探し物を見つける楽しみを覚えてしまったなという、オチでしたー。
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*枕草子、いとかわい?*
文字面は知っていて、意味も知っているが、読み方がいまいちわからない、自分ではしゃべるときまず使わない単語というのがあります。それは特に日本語に多い。「枕の頭の書」と書いた単語がそうでした。先ほどこのブログでその単語を使いたかったけれど、なんて読むのか知らなかったので調べたら「ちんとうのしょ」だったので、ああそれはそうだろうなあ、枕がチンと読むことはつくりが沈むと同じなのだから想像できることであったなあと、学ばされたのでしたが、それより何より、枕元で本を読まずに寝た日は365日のうち平均2日ぐらいだと思われる自分からすれば文字面だけでも好きな単語だったのでした。そして、同時に急に気がついて可笑しかったのは、今までずっと「枕草子」って変な題の本よね、って思っていたことだね。なぜ今日までその意味に気がつかなかったのか??草子の「子」が、子供の「子」のような印象をどうしてもぬぐいきれないからか。なんか可愛いグリーンの服を着た子が枕のそばに座っているような題名に思っていた(わけがわからない)。そういえば、ユーチューブの、とある好きなモデルさんのナイト・ルーティンを見ていたら、ベッドに入るまでは「いいなあすてき」と思って見ていたのに、ベッドに入るなり「明日の目覚ましをセットしておやすみなさい」と電気を消したので、恐ろしく衝撃を受けた。それだけです。
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すべて表示3月1日(日) 教会で、子供達に「砂漠を40日歩こう」の歌を教える。 私の仏語の発音を一つ、小さい子が(小さい声で)直してくれた。 か…可愛い〜。心がほっこりした、受難節第一週の日曜日。 3月2日(月) オルガンコンサートのアシスタント。 フランツ・リストの作品を聴いていたら、 疫病の多い時代、リストも苦労したよねと急に思う。 数日後に日本に行く予定なので、午後は春服を何枚か買った。 でも、音楽院
間(ま)のことは、 音楽の人も 文学の人も ダンスの人も、 いつも考えている。 美術の人も 考えているらしい。 武術の人も スポーツの人も 考えていると聞いた。 間とは何か? 音楽では 音がない時間 と定義できる。 自然に存在する沈黙と違い、 音楽の間は、 音と音で区切られた沈黙になる。 オルガンはリリースを 指をあげるだけでできるので、 間の前の音の長さを 精密にコントロールできる。 すると 次