音楽チャレンジ
前回のブログ以来、Siri投稿の下書きを書いてみたのですが(喋ってみたのですが、正確には、)Siri君はやはり私の話したいことがまだあまりわかっていないようなので、これからも何回か下書きを練習して行くうちに、私が言っているきょうかいは協会ではなく教会であるとか、音楽用語だとか、色々なことが相互理解されて行くのだと思い、今ブログをSiriで書いてみることはやめました。不思議なことに、喋って、Siri表記してもらって、書き直すことが、新しく書くよりも難しく感じたのは、慣れていないせいもありますが、自分の声で書きたいことを耳で聞くのは、不思議に心地よくない体験だったのでした。
自分の声を聞くことが特に楽しくない自分ですが(そのために昔から合唱も賛美すらも苦手意識がありました)、教えるときには声をフルに使います。フレーズを歌ってあげて説明し、弾いている生徒と一緒に歌って弱拍を入れる練習をし、またさらに弾いて見せながら7度や9度の不協和音のそう「ならしめている」音を声に出して歌って「これをね、特に聴きながらこのコードのタッチを決めるの」ということを教える。
合間にはよく水分補給をするので、陸上をしていた時より水を飲んでいる気がするぐらいです。
というわけでどんな楽器奏者でも、歌うことは実に重要なテクニック。
ただ、自分の口から音を出すのだから、かなり恥ずかしいものです、歌うということは。
それを、恥ずかしがってもいられないので録画するようになったのは、教会の合唱のメンバーが、譜面を読む勉強も続けているのですがやはり音があったほうが、ということで、毎週変わる詩編の歌をYouTubeにあげて、シェアして練習してもらうことにしました。それも新しく書かれた曲を毎週歌うので、本当にルーティンとしてはきついです。
昨年のクリスマスまでは、音だけを録音してメールでみんなに送っていたのですが、クリスマスコンサートの練習をiPadで録画してYouTubeでシェアしたら、メンバーはとても良かったというので、今年に入ってからは録画をずっとしています。メンバーしか見られないような設定でやっているので、ネットの検索にはかからない形だったのですが、教会の一般の方たちも観たいと言い出していて、教会では受難節から一般公開してほしいということになりました。
その練習に、受難節の前の日曜日の詩編を歌って、YouTubeに一般公開したものがこれです。
これは、最初に実験的にYouTubeを通さずにFacebookにあげてみて、あまりに恥ずかしくないかどうか自分を試したのですが、笑ってくれた人、喜んでくれた人、役に立ててくれた人などがいたし、自分でも思いがけない勉強になったので、後悔せずにすみました。(でももちろん恥ずかしいです。私は歌手ではないのだ。)
その思いがけない勉強というのは、もともと、「フランス語が正しく発音できる」とか「歌がうまい」とかそういう目的であげていないから「普通に行こう、普通に」というノリで録画したところ、自分で観て「何だろう!この発音の違和感は!」という場所が一つあって(exulter)、娘に「いいから遠慮しないで直してよ」と言ったら、-erを「えー」って言ってるでしょ、と。あのねこれはéと同じ音なんだよ、だから思い切りエ、と短いのが正しい。でもママの発音でも意味がわかるから誰も直さなかったと思う、と。
へー!!!
知らなかったー!!
すっごい勉強になったあ。
本当はエグズルテーのエグズのところが言えない!と思ったのですが、実は、テーではなくてテというのだと!それは確かに耳からうろこ(そんな表現はありません)。
あと、せっかくだからもう一個いい?と娘が言うので訊くと、ママのJeは、じゅ、に聞こえる、と。ジュじゃなくて、ジェァに近い音を発音する彼女の口を見ていたら、私は、口をウの形にして、ジュ、と言っていたので、ジュに聞こえていたところ、口を、エの形にしてジュ、と言っているので、もう少しェとゥを混ぜたような、「貴重感」のある音が得られるのであった。
Jeとは仏語で私、と言う意味なので、「私」が貴重感のある音なんだ!と言うことがわかったのでした。
わざわざ録画などして一般公開にしたことで、他人の目から見た自分を直す経験になりました。自分の周辺だけなら、夫も友人も仕事関係者も「桃代日本人だし、ま、いっか」と我慢強く対応してくれてしまうため、本当にこの歳になると、訂正してくれる人がいなくなっていたんだなあ、とも感じました。
でもできれば、このような自演録画は少なければ少ないほど助かるので、日曜日のミサの後、歌の指揮をしてくれる人を捕まえて、その次の日曜日の詩編を歌ってもらうことにしたいと計画しています。それぞれの立場の人がみんなで協力して、さらに歌声の響きの良いミサができる教会にしていけたら、と思います。
教会だけでなく、仕事の人間関係が今年はとても変化して、一同、明るい心で伸びやかに働くことができています。たくさんのチャレンジを含む一年の計画が提示されているので、勇気を持ってみんなで心からの仕事ができればいいなと祈っています。
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*リップの名前*
YouTubeのMimiTVの久恒美奈さんという方がオススメしていたリップが欲しくて、レブロンはブリュッセルでは買えないようなのでロンドンのサイトから買ったものが、昨日の灰の水曜日のミサを弾いて帰ってきたら、ちょうど自宅に届きました。レブロンのウルトラHDジェル・リップカラー705番と710番です。久恒さんがあげていたのは715番なので少し色は違いますが、ネットで見て私の唇に近いベージュピンクの色違いのように見えたその2本を選んだのでした。何が言いたいかというとその2本の名前を見たら、705はDawnで、710はDesertだったのです!旭(前回のブログ参照!)と、砂漠(灰の水曜日は、イエスが、十字架にかかる前に、砂漠で40日間祈ったということを思い出す日)!タイムリーすぎる!
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すべて表示3月1日(日) 教会で、子供達に「砂漠を40日歩こう」の歌を教える。 私の仏語の発音を一つ、小さい子が(小さい声で)直してくれた。 か…可愛い〜。心がほっこりした、受難節第一週の日曜日。 3月2日(月) オルガンコンサートのアシスタント。 フランツ・リストの作品を聴いていたら、 疫病の多い時代、リストも苦労したよねと急に思う。 数日後に日本に行く予定なので、午後は春服を何枚か買った。 でも、音楽院
間(ま)のことは、 音楽の人も 文学の人も ダンスの人も、 いつも考えている。 美術の人も 考えているらしい。 武術の人も スポーツの人も 考えていると聞いた。 間とは何か? 音楽では 音がない時間 と定義できる。 自然に存在する沈黙と違い、 音楽の間は、 音と音で区切られた沈黙になる。 オルガンはリリースを 指をあげるだけでできるので、 間の前の音の長さを 精密にコントロールできる。 すると 次