リアルさ
本当に言いたいことがあって
何か言っているひとには
納得させられる。
演技だとしても
その瞬間は
「本当に言いたいことがあるのだ」
と信じ込んで演技するからこそ、
しっかり説得させられる。
演奏でも、最初の1音から、
そのリアルさは明らかだ。
何をどういう風に
「聴かせるのか」を
考える以前に、
自分の体内のセンセーション、
それを意識的に
肉体に了解させている演奏しか、
聴いている人の心を
一瞬で掴めない。
けれども若いときには、
自分が本当に言いたいことは
人々の納得に値しないような
気がしていた。
値しないようなものだけど…
と感じている心の
ピュアさも思い込みも悪あがきも、
全ては生々しい本当の感情。
それ以外に何を使う?
それ以外に言いたいことがある?
だいたい、人生のどの時点で、
本当に言いたいことが
価値ある内容になっていくというのか?
疑う人、決めかねている人には、
私はそう訊いてみたい。
本当に言いたいから、
価値ある内容なのではないのか。
本当に言いたい、と
体の中から
皮膚の表面から
喉の奥から
「感じるかどうか」
問うための時間を、
表現者なら毎日取りたい。
そうしたものを
「出したり入れたり」
できる技術は、
案外、時間をかけてしか、
ついて行かないものだと思う。
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