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  • 執筆者の写真Momoyo

塩かげん

目分量で、ご飯を作る。


ごく普通に、お味噌汁でもいいし、

パスタを作るのでもいい。


出来上がった時に、

「うん、こういう味!」

と、思いながら

美味しく食べるには、


お湯を沸かすとき、

塩や、カツオぶしや昆布を入れるとき、

野菜を切るとき

などなど、

それぞれの段階で、

ちょうどいい

「手加減」をする。


演奏も、似ています。


こういう音を出そう。

と思って、鍵盤に実際に

触れる時、思ったのと違う音が

出てしまってびっくり!

と、ならないように、

日々練習しているんだな。

と、気づきました。


子供でもすごいなと

思う子は、最初から

そうやって出す音を

思い描きながら

練習してきている。


逆に「家ではちゃんと弾けるのに、

レッスンでは弾けない」

と言い訳をする生徒さんは、

音楽の「外に響く音」だけを

聴く練習をしてきたのだと思う。


「どんな味にしたいのか」を

イメージできると、

状況や材料が少し違っても

美味しく作れる。


楽器が鳴る音を聞いて、

それを使って練習すると同時に、


どんな音が聴きたいのか、

楽器が鳴る一瞬前、一瞬前に、

いちいち、いちいち、

全部の音で、全部の段階で、

イメージしながら

日々練習する。


音が楽器から生まれる前に、

音を体感する練習を

してみると、

丸一日、スマホなしに

音楽を再生する力も

だんだんつけられます。

(いらないか)

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