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ご褒美

「ご褒美に」という言い方があります。お仕事を頑張ったから好きなお洋服を買う。大変な課題と格闘している間「終わったら美味しいお酒を飲もう!」と決めてそれを楽しみに頑張る。これは自分で決めて、自分で実行する、他の誰も関わっていない「ご褒美」です。


ご褒美は、昔は、誰か目上の人が目下のものに与えるものだったのかなという微かな記憶があるのですが、現代ではご褒美は上から来なければ真ん中から出そう(?)みたいな、自分の中で「よしよし」する役割の人と、身を削って頑張る役割の人と、一人二役で上手く仕事を遂行するようです。


誰がそういうふうに言い始めたのかは定かではないですが、要するに、経済力が各々にある程度ついてきたので、女性も男性も、老いも若きも、自分にご褒美をあげようじゃないか、という、何らかのマーケティングの魔法が何処かからかかってこうした言い方が広まったのだろうなと思います。


私は何かする時に、あまり付加価値を与えたくない気がしていて、単に欲しいから買ったんだよね、と思う方が満足度が高い。欲しくて、欲しくて、買う時間と手間をかけることができたから買った!あるいは、お酒が飲みたかったから、飲んだ!わーい!


今では、それで文句をいう人も周りにいないからできるだけかもしれませんが。


ただ、時々、夫に

「これ、ずっと欲しかったの。それで、それで、それでぇー安くなってたから買ったんだよ!」

と言うと、

「ここ、君んちだよね?自分のうちみたいにくつろいでもいいよ」

と夫は言います。これは、翻訳するとすごく妙な感じですが、いわゆる「言い回し」で、自分のうちみたいにくつろいでね、と、お客さんに言うためのフレーズです。夫は私が言い訳をするとすぐにこれを出してくる。


言い訳があってもなくても(この場合「値引き」!)どうせ買ったんだろうと夫は知っているし、私が言うのを忘れていれば口座に現れるので、わざわざ言わなくてもいつかは知れることです。値引きがあったかどうか、夫には関係ないといえば関係ない。


言い訳をしているのは、私なのです。私が、私自身に言い訳をしている。する必要ないのに。


ご褒美も、言い訳の一つだと思います。その仕事があまりにも嫌なことならば、苦い物を甘いものと組み合わせて飲み込むように、ご褒美と抱き合わせてなんとかそのことを良い思い出に変えていこうという、ポジティブな思考には違いないですが。


でも、例えば辛い練習を頑張っているとする。練習は、最初、楽しくてやっている。ただ最後の方は疲れてくるし本番は迫ってくるし、辛くなる。本番が終わったらご褒美に何かをしよう。。。そういう考え方への誘惑はあります。ただ本番そのものよりも良いご褒美なんてあるのか?


それをお祝いするためにみんなで飲みに行って乾杯するのなら、それは「ご褒美」と言う言葉の持つ「上下関係」のようなものが含まれないので、行為としてはご褒美とは違う気がします。最初から「自分はご褒美としてここでお酒を飲むんだ」と思った途端に、なんとなく可哀想な労働者みたいな気分になりませんか?(ん?ならない?)


私はなんとなく自分に飼われている犬のような気分になってしまうので、ご褒美という考えは避けるようにしているのかもしれません。自分で自分を律する、そういう生活が高度になりすぎて、アメもムチも全部自分で出してくるようになると、何がしたくて何が好きで誰のせいでこんなことやってるんだっけ?そのあたりが意味わからなく、なってきませんか?


(共感できない方はすみません!「ご褒美」に込められた微かな上下関係の響きが、ちょっと嫌だな、と私は思ってしまうタチです。物乞いの人にもお金を全然あげない自分ですから。。。

「上下関係作るのやめましょうよ。あなたと私は対等なんだから、物乞いなんかしないでください」と話すと、物乞いの人はみんなキョトンとしています。ていうかこんなの言い訳?!)

桃代












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