• Momoyo

小学生の頃、三つ下の弟が庭のボイラー室で生まれた子猫にこっそり餌付けしたことにより、実家は猫の家となった。舞い込んできた黄色くて頬の白いインコや、店じまいの時間に母と行ったスーパーで卵1パック買うと1羽プレゼント中だったひよこを「3人きょうだいなら3羽あげる」と言われてもらって育った雄鶏や、金魚すくいの金魚などは飼ったことがあったけれど、2匹の子猫が来たことは我が家ではレボルーションだった。


父が猫や犬はダメだ。と最初から言っていたので、私たちはダメでしょと思っていた。それなのに朝早くミルクをあげていた一番下の弟は、自分が大きくなったら白い猫になる、と信じているような幼稚園生だったので、お母さん猫はそれを感知して、実家の小さい庭の4分の1を占拠していたコンクリート製のボイラー室の、通気用ブロックの菱形の穴から入り込んで出産し、赤ちゃん猫が少し大きくなった頃に3匹目の子猫を咥えて何処かへ去ったのだ(と思う)。


弟自体が、とても可愛い子だったので、彼が猫にミルクをあげていたと知って、父も母もほだされてしまったのかな、と思う。子供の私ですら、幼い弟が頭を使ってばれないように猫を餌付けしたことにきゅんとした。でも、最初はその子猫たちが可愛いというよりは育てることができるのか、私は心配の方が大きかった。小さな赤い舌で、お皿に入れたミルクを一生懸命飲んでいて、一体何回舌を出し入れしてこんなにちょっとずつの量をようやく胃袋に入れるのかと、私たちきょうだい3人は目を見張って眺めていた。


そのあとの猫の記憶はほとんどなくて、私は私の人生、猫は猫の人生、のようにそれぞれ勝手に忙しくしていたのだと思う。2匹とも三毛猫で、1匹は黒が多く、もう1匹は茶色が多くて、性格が随分違った。私は茶色い方の子と気が合って、話しかけると延々返事をしてくれる、その声を今でも思い出せる。柔和な性格で、ふわふわした丸く平たい頭に耳の形がとても可愛くて、長い尻尾の先を触ると鉤形に曲がっていた。でも触らなければわからないぐらいほんの少し。


私がロンドンに旅立った後も猫たちは健在で長生きした。そのあと私がベルギーに引っ越し、実家も猫を連れて引っ越したけれど、茶色い子はとても長生きした。


ある夏、日本のホールで連弾の演奏会を弾かせていただくことになって、私と夫が娘を連れて帰国した日、茶色い猫は縁側の丸い石の上で暑かろうに日向ぼっこをしていた。私のことを覚えているかわからないのでお顔もちゃんとおばあさんになっていたその猫に、私はあまり邪魔しないように挨拶した。猫はただお昼寝を続けていた。


演奏会の朝、都内から電車を乗り継いで行く離れた場所だったので、早くから私と夫は出かけて、演奏会には実家の家族と小さかった娘があとから車で合流したのだったと思う。幸せな1日を過ごした後で実家に戻ると、茶色い猫は丸まって小さい箱に入れてあった。

「朝に亡くなったんだけど、演奏会だから言わなかったんだよ」

と両親に言われた。娘も両親もたくさん泣いた後で服を着替えて演奏会を聴きにきてくれたらしい。


チャーちゃんが、私の帰るのを待っていてくれたこと、演奏会の日まで元気でいてくれたことを今日急に思い出したので書きました。

桃代









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